聖書・コーランの科学的根拠の立証

第七宗教(真言密教スペシャル)

最後の裁き

 ヨハネの黙示録における、最後の裁きというものに関し、霊界の主によりバビロンが紗倉まなであるという御言葉の中、皆に伝えるように神様から告げられ、御言葉の重みを考え皆にその主を伝えました。しかし、紗倉まながバビロンであるならば、他のアヌケト(セクシー女優)全員の苦しみになるのではないかと考え続けました。ベクトルを絶対に考えれば、御言葉に関するベクトルは、アヌケトとしてピラミッドの神話から働いているもので、大天使の世界ではジェネミエルとして、仏教では観音様として、その存在は神様が創り出してきたものだと考えてきました。紗倉まな一人に苦しみをせをわせるのは、人類全体の苦しみとなるのではないかと考え始めたのです。「焼かれる煙は世々限りなく立ち上る。」という表現に対して、人類は十分すぎるほど神様の力は感じているはずで、ヨハネの黙示録の最大のテーマである神様のカンバックは成功しています。コロナウィルスの発生に関し、その責任を麻生太郎と小沢一郎ん位取らせると神様(霊界の主)は私に常々告げていました。貞観政要を見ても罰を与えるときは必要最小限とされます。 

  

 東邦銀行が毒リンゴ売り(神と予言された者のホテルを、泥棒することを商売にしたもの)を私の父がホテルを誕生させてから、佐藤栄佐久が東邦銀行に売らせ始め、小沢一郎がホテルを泥棒させる実行犯となり、その首謀者が橋本龍太郎の一番弟子であった麻生太郎だと霊界の主が告げています。小さな政府が浮かび上がってきますが、バビロンという存在は毒リンゴのおかしな保証書になっていた女で、東邦銀行に勤めていた私とバッキングさせた女性であることを告げ始めました。 

  

 佐藤栄佐久は汚職で捕まり、小沢一郎は市民団体から告発され一時期の力は衰えています。橋本龍太郎は既に肺がんで無くなり、麻生太郎だけが一人で何の責任も取らされていません。霊界の主の御言葉では、山形米沢興譲教会の田中信生を裏で動かしていたのは、麻生太郎だと告げています。 

 

 コロナウィルスに関して、霊界の主の御言葉において、還元水(命の水)に病気を治す力があると告げています。命の水とはヨハネの黙示録に登場しますが、その名のごとく命の水であり、聖書では好きだけ飲みなさいとあります。 

  

 宇宙の原理を考えれば、様々な要因があるにせよ、還元水(健康バランスを作り出す水)で病気を治す力があるはずで、宇宙の始まりがビックバン融合であるならば、神様に愛される努力と神様から要求された量だけ還元水を飲めば、理論上全ての病気を治す力となるはずです。 

 

 人の命に関して、裁けるのは神様だけだと思います。ローマ教皇の考え方に私も賛成です。罪を憎んで人を憎まずという福沢諭吉の教えもありますが、霊界でも憲法・法律が支配することは大事なことで、罪を憎んで人を憎まずという考え方は、当然の償いとして慰謝料・損害賠償をもって償うべきものだと考えます。 

 

 霊界の主の御言葉の中、紗倉まなさんに対しての発言は謝罪させてください。 

 

 それぞれの行いにより報われ、それぞれの行いにより裁かれるというのが、ヨハネの黙示録であり、人の命というものが大きなテーマであると共に、人類がアブラハム(信仰の父)と同じ試され方をしたというのも事実だと思います。 

 

 聖書とコーランは神様と人類の契約書であり、聖書・コーランの人生の価値観は、天国への凱旋にあります。人生での成功は、人それぞれ運否天賦が作用すると、霊界の主は告げています。全宇宙を永遠とする仕事に対し、青田刈りされた魂が、神宝(かんだから)神社に祀られる魂であり、祀られることが永遠の命の手形であって、人類最大の山越え(2000年キーワード:ヨハネの黙示録)に貢献できたかどうかは、永遠の人生の神様との契約の中で、大きな評価になると霊界の主が告げています。 

 

ヨハネの黙示録の中で、「最後の審判」と呼ばれるものです。 

 

良いクリスマスを迎えてください。メリークリスマス‼